日本は氏族制が強く、科挙が定着しませんでしたが、なぜそうなってしまったのでしょう。世襲制にメリットがあったのでしょうか。

やはり文字どおり、氏族共同体の紐帯が強い社会だった、ということでしょうね。中国では、長期にわたって氏族とそれを超越した官僚制との対立・葛藤があり、そのなかから科挙などの制度が生み出されてきたわけですが、日本の場合はそうした歴史「過程」を経験せず、いきなり「結果」のみを輸入してしまったこととも関連があります。そのため、官僚制を動かすためには氏族制的な裏打ちが必要であるという、捻れた構造が定着してしまった。しかし平安時代を通じ、その氏族のうちにそれぞれ独立した家が生まれて競合する形が作られ、支配層から抑圧されていた階層の勃興もあって、古代的な世襲制を解体する中世が訪れる。以降の時代は、前代的安定が後代の新階層の勃興により解体される、その繰り返しが続いてゆくことになる。いうなれば、中国では科挙に制度化されたものが、日本列島では社会変動として一定の時間を置き生起しているのだ、といえるかもしれません。