崇峻天皇は馬子によって暗殺されたとありますが、なぜそのことが分かったのでしょうか。 / 蘇我入鹿が暗殺されたという証拠はあるのですか。

『書紀』に記述がありますが、この2つについては複数の史料が存在します。前者は聖徳太子関連の寺院関係、後者は藤原氏の『藤氏家伝』などです。前後の文脈や複数の史料の比較から、大きな矛盾点はないので、とりあえずは事実と考えられています。ただし、崇峻の暗殺については、東国の調の奉呈という儀式、入鹿の暗殺について、三韓の調の奉呈という儀式で、ともに類似の舞台が用意されているという不自然さはあります。古代においては、政治的・社会的、あるいは自然環境的な混乱を作った王を殺害し、世界と人間との契約を更新するという発想が世界的に存在しました。キリスト教におけるイエスの死も、そのような神話的文脈を参照して作られた可能性があります。崇峻や入鹿の例にもそうしたニュアンスが見受けられますので、どこまで事実性が認められるかについては、今後さらに研究が進められてゆくでしょう。