ヤマト政権は、神殺しによって神を政治利用したとありましたが、民衆に統一された神のイメージはあったのでしょうか。

概ね自然環境を象徴する存在としての神が列島中に広がっており、大地を潤す湧水点を抱え込む、前面に河川、後背に山地を持つ神社の神々が大部分であったと考えられます。6世紀の中頃には、王権の内部に構築された祭祀関係の機関を基盤に、ヤマト王権の勢力範囲で神祭りの方法が統一されてゆきます。すなわち、のちの三種の神器に受け継がれるような、刀剣・鏡・玉を象った滑石製模造品による祭祀です。もちろん在地的固有性、多様性は残存はしますが、こうした中央集権化を通して、次第に神のイメージも一般化していったと考えられます。