人が捕食する場合の、人と宗教との関わりとは別に、人が捕食される場合の、宗教との関わりはあるのでしょうか。

上の話にもその要素は残っていますが、アフリカのブッシュマンの狩猟に関する言説を調査している菅原和孝さんによれば、彼らの狩猟は現代的なハンティング以上に生命の危険を伴う。ヒョウやライオンに殺される危険も、常にあるわけです。そうした緊張感のなかで、彼らは、例えばヒョウに襲撃されて生き延びた話、父親がライオンに殺された話などを、誇りに満ちた表情で生き生きと語るとか。そこには、生態系の頂点に位置する二種の生きものが、お互いを対等な好敵手と認め合う文化があるようです。同様のことは、オオカミ・トーテムを持つモンゴルにおいても認められます。モンゴル族は、牧畜の羊たちを狼に襲われ、ときには自分たちもその襲撃に合い、その被害を抑えるために狼に立ち向かいますが、彼らを先祖と崇め、狩猟の教師とし、信仰もしている。死後は死体を荒野に放置し、狼に食べて貰うことで、初めて天国へ行けると考えます。自分が相手を傷つけるかわりに、自分も相手に傷つけられることもある。それこそが世界の理だという理解で、人間を「霊長類」とする発想とは異なる場所に立っています。