倭には、唐に対する忠誠心のようなものはなかったのでしょうか。百済に対し、それ以上の絆があったということでしょうか。

中華王朝と冊封関係にあった諸国も、基本的には政治的利害を重視して結びついていましたので、皇帝と王個人が信義に基づく人間的結びつきをなしていた事例は、ほとんどなかったと思われます。朝鮮三国も、新羅が典型的ですが、唐に随従しつつ、虎視眈々と半島統一を狙っていたわけです。倭王権も、劉宋に忠節溢れる上表文を提出していた武が、国内では中華とは異なる「天下」を標榜していたように、相対的独立の意識を強く持っていたと思われます。