ヤマト王権による公地公民の実現は、幕末維新期の中央集権化の模範であり先例であると考えてよいのでしょうか。

確かに、明治維新は古代への復古をスローガンに行われ、天皇の親政、そうして当初は律令太政官制をも復活させてゆきました。具体的な先例としては、時代や社会情況が違いすぎるので役に立たなかったでしょうが、明治維新自体が明らかなクーデターであったことを考えるなら、そのありようを正当化するために古代の先例を持ち出す必要があった、自分たちの試みを建国の過程に準えて語る必要があったということでしょう。