中島敦の『山月記』の李徴は、自負心が強く虎になってしまう。『成実論』に「傲慢な心が〜虎狼などに生まれる」とあり、類似していると思いました。『山月記』の原型は「人虎伝」ですが、これは仏教と関係しているのでしょうか。

「人虎伝」に限らずとも、中国には、人が虎に変身する物語はたくさん存在します。もともとは、虎をトーテム動物と崇め、毛皮を着込むことで変身する祭祀、儀式などを語るものだったのでしょうが、六朝の頃より、次第に虎への変身がマイナスの印象で語られるようになりました。神の怒りを受けて虎に変えられてしまい、人を何人も食い殺さないと人間に戻れない、といった内容です。この頃、一方で仏教が虎を山の神と捉え、これを服従させることで山神に対する勝利を語る伝承も頻出します。授業でお話しした串刺しの問題のように、仏教の介入もあって虎が次第に貶められるなか、その残酷さを強調する物語も語られるようになってゆく。「人虎伝」は、その傾向を受けて成立したと考えられます。