個人の気持ちは、自分でも分からないレベルで難しいと思うのですが、歴史において感情というものはどう扱うべきなのでしょう。

確かに、学問で個人の内的な世界を考察するということは、非常に難しい問題です。「自分でさえ…」ということも、ご指摘のとおり、ありますね。しかし同時に、他から指摘されて初めて自分の気持ちに気づく、といったこともあると思います。個人の心理を研究する学問には、心理学から哲学、文学、歴史学まで多々ありますが、それぞれに得意な面と不得意な面があると思いますが、歴史学はそもそも集合的なものを扱ってきたので、個人のそれと向き合うのは方法論的に限界があります。しかし、社会史の興隆以降は、心理学や精神分析学と協働しながら、例えばギンズブルグのミクロストーリア、アラン・コルバンの感性の歴史学・個人の歴史学にみるような試みも進められてきました。個人の心理を、社会的なものとの関わり、時代的なものとの関わりのなかで考えてゆく方向性は、かなり開拓されてきていると思います(ただし残念ながら、個人の特性を、社会性や時代性などの集合的なものへ還元してゆく性格は強いですね)。