日本では、幕府が新たに設立されたときや代が替わるときに、将軍が天皇に拝謁しにゆく慣習があったと思います。それは幕府の権力に、どのような力添えを望んでいたのでしょうか?

日本の幕府制度のそもそもの起源は、中国六朝時代の府官制にあります。その頃の倭では、いわゆる倭の五王が、劉宋に朝貢して将軍職を獲得しようとしていました。北朝胡族王朝との戦闘、国内での内乱が相次いだ劉宋では、開府儀同三司の権限を認められた将軍職が、派遣地域の混乱を鎮圧し臨時行政府を設置し、配下に官職を仮授する仕組みがありました。五王らはそれを得ることによって、列島に幕府を開いて官職を仮授し、ヤマト王権の内実を整えようとしていたわけです。鎌倉幕府以降の仕組みもこれと同じで、頼朝は臨時であるはずの将軍職、幕府を恒常化することで、朝廷に対抗しうる政権を育てようとしたのです。しかし、核となる将軍職の任命権が、中国では皇帝、日本では天皇にあることは否定できず、その宗教的権威をいかに次第に吸収しようと、江戸幕府においても天皇・朝廷の権威を解体はできなかった。いいかえれば、幕府の世俗的権力、宗教的権威の基本的源泉は、常に天皇、朝廷であったのです。