移動から定住へ向かうには、川や海の近くの土地が重視されたことは理解できる。しかし古代において、どうして山がちで、大坂などより気温差の大きい奈良や京都に都が作られたのでしょうか。

そのとおり、縄文期に定住が開始されるのは、水の周辺においてです。春から夏は漁労を行える水場に近い場所に、秋から冬は最終や狩猟が行いやすい山麓・森林地帯に生活するという、半定住が始まってゆくわけです。なお、奈良・山城の盆地を大きく「海と離れたところ」と捉えてしまうと、確かに水と隔絶しているような印象となりますが、盆地にはたくさんの河川が流れていて水場は多くあります。とくに京都などは、桂川と鴨川に挟まれ、南半分は常に水害に見舞われていたような場所で、前近代には、巨椋池という巨大な湖沼地帯を備えていました。むしろ、水が極めて豊富な場所だったのです。