都などを造るにあたって、労働力はどのように確保していたのでしょう。戦などをして手に入れたのでしょうか。

古代、ということでしょうか。古代であれば、「役民」と呼ばれる労働力として、強制的に差発されました。基本的には雇役の形式で、諸国の国司を通して徴発され、中央へ派遣されて必要な現場へ配属、決められた日数で労働に奉仕します。その間、賃金である功直と食糧が支給されますが、功直は1回の雇役の終了後にまとめて支給されるため、労働条件としては厳しく、逃亡が相次いだ記録が残っています。また、都への往復については自弁であったため、行路に窮乏して倒れる者、死亡する者が多かったことも史料にみえます。