定住することでのデメリットも確かにあると思うが、定住することで慣れた土地、環境への安心感、移住したばかりの慣れないストレスもあり、一概にはいえないと思います。 / 国家の成立を人類文明の発展ではないとするのは分かりますが、国家と同じように、ふだんから個々ではなく集団で行動し、そのなかでさまざまな役割を分担するような形態を、現在の私たちも持っているとするならば、それを一概に失敗とみなすのは難しいと思いました。

まず、定住することによって得られる安らぎというのは、定住社会によって構築された心性ですので、移動性社会においては意味をなしません。人類が、その誕生から1万年前までの長期にわたって培ってきた移動性社会においては、定住することのほうが危険が大きく、ストレスが強かったのです。現在の自分の認識ポジションを絶対化して、過去について断定することは危険です。また、国家云々の感想には少し意味を汲み取りにくい部分があるのですが、国民国家という統治システムの課題や問題を充分客観化できていないのではないでしょうか。それらが顕在化して世界が破滅の一歩手前にまで近付いた20世紀には、とにかく国民国家を相対化しそのオルタナティヴを模索する学問的取り組みが盛んでした。それが、社会主義諸国の崩壊を通じて巨大な壁に突き当たり、テロの恐怖が蔓延する現在に至っても、何も進展しない状態が続いている。クラストルの提言は国民国家現代社会の問題点を追究するところから始まっているので、その点注意が必要です。国家が失敗だというのは、一定の階級からなるピラミッド的秩序とそれを維持するための収奪機構、その実現へ至る富の集中・権力の誕生からの一連の歴史的展開を前提にしています。緩やかな社会的分業は、移動性社会にも存在します。そのうえで、ある程度の社会的平等を導く約束が機能しているのです。