ヤマト王権が移民を自国の運営に組み込んでゆくことに、渡来人たちは反発がなかったのだろうか?

やはり倭王権の支配地に移住をするわけですから、その管理下に入ることはやむなしとされたと思います。とくに、朝鮮における王朝の興廃のなかではじき出されてきた人々は、一方では故国の再興のために倭王権の援助を必要とし、一方では倭王権のなかで高い政治的地位を得る目的で、積極的な協力を申し出る人々も多かったのではないでしょうか。倭王権が僑県・僑郡的な施策で移民・難民を受け容れ、例えば亡命百済王族には百済王氏、高句麗王族には高麗王氏などの姓を賜与しているのも、彼らの故国アイデンティティを疎外しないための柔軟な対応策であったと考えられます。もちろん一方では、百済王族、高句麗王族を包摂した倭王権という新たなポジションを、東アジアにおいて喧伝するという政治的意図もあったはずですが。