「ライオンに喰われた父親」のところで、語られるうちに内容が変化してくる、という点に興味を持った。古代の史料でも、やはり、語り継がれるうちに内容が変化してゆくことはあるだろう。真実をみるというのは、なかなか不可能なことではないのだろうか。
変化してくるという事象を突き止めた時点で、間違いなく史実へと接近しているのです。史実は永久に過去そのものにはなりえませんが、過去そのものへのベクトルとしては作用し続けます。
変化してくるという事象を突き止めた時点で、間違いなく史実へと接近しているのです。史実は永久に過去そのものにはなりえませんが、過去そのものへのベクトルとしては作用し続けます。