2017-05-01から1日間の記事一覧

中国に始まる一世一元の制は、君位紀年法と年号紀年法のどちらに分類されるのでしょう。 / 君位紀年法と年号紀年法の違いは何でしょうか。

君位紀年法は、君主の即位から年数を数える形式で、君主が時間の主催者であることを含意します。年号紀年法は、その治世を特定の言葉で意味づける方法で、君位紀年法の発展形態です。一世一元は年号紀年法の、具体的表現のひとつです。

今後、人間の時間分節や把握の仕方は、テクノロジーの進化によって変化する可能性はあるのでしょうか?

例えば、地質年代により時代を区分する方法があり、これはヒトを単位としない、自然科学的な時間分節のあり方です。しかし、それが人間の時間を著しく超越した数万年のスパンで展開するために、我々の日常生活を表現する時間軸としてはもちろん、歴史学のス…

神話と歴史を非現実性の高低で考えると、より非現実性の高い神話は、教訓・模範を生み出さないと思います。

いえむしろ、神話はその発生の段階から、ずっと教訓・模範など倫理や道徳の源泉として、また逆にそれらを破壊・更新する可能性の起源として、語られてきたものです。何度もいいますが、現実性や事実性でものごとを判断してしまうのは、ぼくらがそうした世界…

ヒストリカル・パストは、文学的レトリックを排除しているとの話だったが、レトリックという言葉に慣れていないので、具体的にどういうことか分からなかった。

ギリシャ神話などにも、シャーマンが経験したことのエッセンスが含まれているのでしょうか。

神話には幾つかのレベルがあり、まずはシャーマンが語り出し共同体において一定の社会的機能を担っている段階、それらが王権や国家によって収斂・編集され統一的な価値を持つ段階、娯楽化・芸能化が進んだ段階です。日本神話の代名詞である『古事記』『日本…

神話/歴史が区別されていたが、プラクティカル・パストとしての歴史や、ゲシヒテ(Geschichte)としての歴史は、神話を包括するのではないだろうか。

そうですね、このあたり、少し用語の使用を厳密化しないと混乱を招きますね。歴史はもう少し厳密な意味で使用したいので、神話を包括する歴史概念は、この授業では「過去語り」と呼称させてください。

プラクティカル・パストに対してヒストリカル・パストは現在に作用せず、過去は過去といった印象を受けたが、ナショナル・アイデンティティなどを形成するうえで、実践的ではないにせよ現在に作用しているのではないか?

ナショナル・アイデンティティーを構築するための歴史は、直接的にはナショナル・ヒストリーと呼ばれます。これは、秋学期の全学共通日本史などで詳しく扱っていますが、ヒストリカル・パストをもとにしながら、それとは異なる様相を持っています。まず、ヒ…

神話から歴史へという順序でないとするなら、父祖語りをもとに練り上げ伝えられるであろう神話は、歴史のなかに点在しているということですか。 / 神話と歴史は同じ事実に対する解釈の相違であり、並列した存在であるということでしょうか。 / 日本の神話にも、その前段階としての父祖の語りが含まれている、ということでしょうか。

「歴史」という言葉を用いるとややこしいですが、父祖の語りは、古代から現代に至るまで実践されてきていますし、それが神話として作用することも少なくないでしょう。例えば家々の風習のなかに、「これはおじいさんが○○した事件をきっかけに始められ、いま…

デュルケームによる、空間の分節の原初形態はヒトを単位にする、ということは、例えば宗教によるとしてもヒトによると認められるのでしょうか。 / ヒトを単位とする分類は、現在当たり前になっていますが、古代のいつ頃からこの方法が始まったのでしょうか。

宗教はヒトが生み出したものですし、神の業績にしても何にしても、歴史学的・人類学的にみれば人間の活動の投映です(もちろん、神学的には異なる理解がありえます)。よって、ヒトを単位に分類したと整理できるでしょう。こうした方法の起源について描いた…

神話が、「歴史より古いもので、非論理的」とは必ずしもいえないということが、まだよく理解できません。 / 現在にも神話はあるということは、語られることのなくなった神話も存在しているという認識なのですか。 / 現代の神話とは、どのようなものを指すのでしょうか?

近年の神話学の成果のひとつは、古代のみならず、中世・近世・近代の各時代において、それぞれ同時代の政治・社会の要請に応える神話が存在したことを明らかにした点です。日本でいえば、『古事記』『日本書紀』に代表される古代神話があり、それらを仏典や…

ヒストリカル・パストはプラクティカル・パストの一部として考えられるという話でしたが、前者のあらゆる過去には過去それ自体の価値があるという見方(ゆえに現在に生きるための教訓を見出さない)と、後者の歴史の現在主義とは矛盾しないのでしょうか。

ヒストリカル・パストを、その歴史を生産する人々が内的にどう理解しているかという問題と、外的にどう位置づけることができるかという問題とは、混同されがちですが別々の意味を持っています。ヒストリカル・パストは、近代科学主義を奉じる人々にとっては…

神話が、「現代と直結するもの」という意味が、よく分からなかった。

歴史が、過去から現在に至る変化のプロセスをもって現状の説明をするものであるのに対し、神話は、過去の一点の事象から現状を説明する物語り形式です。例えば、近代における帝国日本の統治者が天皇であることについて、「皇祖神アマテラスが皇孫たるニニギ…

遠く離れた地域にも同じような形式を持った神話が存在するということは、離れた地域も同じような文化の基盤が存在するということなのでしょうか。

これについては、幾つかの説明の仕方があります。例えばユングのような元型論。人間の真理には、ヒトである限りは共通するひとつの認識パターンがあり、それが共通の神話要素になって現れてくると考えるものです。それと似たものに、環境的な説明があります…

pratiqueとpraxisの概念について、こんがらかってしまいました。praxisによって社会が変わるという考え方が、マルクス的ということでいいのでしょうか。

マルクス主義的な〈実践〉観では、社会・経済構造の変革は、それらが現在の体制を維持すべく作用させるイデオロギーを自覚し、その強制力を斥けたうえでなされる意図的な行為、革命によって達成されます。そうした「意図的な実践」が、ドイツ語によるpraxis…

シャーマンになる過程の大きな困難とは、私たちの感じる普通の困難とはまったく別のものなのでしょうか。

おおむね、「現代常識的な手段」によっては解決されない困難、ということになりますね。どこへいっても救済されることがないので、最終的にシャーマンのところへと導かれてゆく。いわゆる「神霊の召命」である場合も多いのですが、大事なのは、多くの人々が…

「ライオンに喰われた父親」のところで、語られるうちに内容が変化してくる、という点に興味を持った。古代の史料でも、やはり、語り継がれるうちに内容が変化してゆくことはあるだろう。真実をみるというのは、なかなか不可能なことではないのだろうか。

変化してくるという事象を突き止めた時点で、間違いなく史実へと接近しているのです。史実は永久に過去そのものにはなりえませんが、過去そのものへのベクトルとしては作用し続けます。

史実かどうか分からない神話の起源を探ることは、歴史学から逸脱していると思うのですが、その点はどうなのでしょう。

過去に生じたものは、すべて歴史学の対象になります。またそもそも、学問とは「越境」することなしに発展はしません。学問のあり方からすれば、本来は明らかにすべき対象がまずあり、そのありように即して最適な方法を模索してゆくのがベストです。学問の枠…

シャーマンが存在しない文化でも神話はできるのでしょうか?

他地域で創出された神話が権力をもって導入され、浸透させられるという場合はあるでしょうね。日本近代に起こった廃仏毀釈、神社合祀などはまさにそうした動きで、地域に長い時間を経て培われてきた多様な信仰が、画一的な近代神話の強制によって多く破壊さ…

ディプロマ・ポリシーをみると、上智の史学科は、プラクティカル・パストをそれなりに重視しているのかもしれないと思います。プラクティカルでもあり、ヒストリカルでもある歴史学を構築することがよいように思うのですが、そうした概念は提唱されているのでしょうか?

ヒストリカル・パストから直接的に教訓を引き出すというより、過去を分析・考察する知識・技術・能力が、現代を生きるために大いに役に立つものであるという考え方でしょうね。ヒストリカル・パストのプラクティカル化というより、ヒストリアンのアクチュア…