神話から歴史へという順序でないとするなら、父祖語りをもとに練り上げ伝えられるであろう神話は、歴史のなかに点在しているということですか。 / 神話と歴史は同じ事実に対する解釈の相違であり、並列した存在であるということでしょうか。 / 日本の神話にも、その前段階としての父祖の語りが含まれている、ということでしょうか。

「歴史」という言葉を用いるとややこしいですが、父祖の語りは、古代から現代に至るまで実践されてきていますし、それが神話として作用することも少なくないでしょう。例えば家々の風習のなかに、「これはおじいさんが○○した事件をきっかけに始められ、いまに至って大切に続けられているのだ」との説明がなされていたとすれば、それはもう神話として機能しているといっていいと思われます。恐らく、家々や村々独自の風習・慣習には、「科学的に考えるとおかしいけれども、大事にされている」ものとして、この種の説明の仕方がかなり多く残っていると思います。ぼくが調査をした中国雲南省ナシ族のあるシャーマンは、羊の肩甲骨を用いた卜占を、そのやり方が書かれた経典とはまったく異なる方法で実践していました。彼は、「これは私が父から教わった方法で、これ以外のやり方を知らない。経典にもそう書かれている」といいますが、経典には異なる内容が載っているのです。これなどは、書かれたものと父祖の語りが対立し、後者が神話的な力を獲得した事例といえるかもしれません。