古代の品部の名称は職を意味すると習いましたが、なかには実際には存在せず名前だけが残っているものもあると聞きました。それらは王権への奉仕と関係ないのでしょうか?

具体的に何を対象とした質問なのか分からないので、正確な回答にはならないかもしれませんが、品部のうち王権へある職掌をもって奉仕する職業部は、律令体制においても諸官司に配属され遺制を留めていますが、8世紀を通じて解体が進められてゆきます。そのなかには、7〜8世紀の国家機構の転換のなかで必要がなくなってくるもの、結果統廃合の対象となるものも生じてきました。いわゆる品部ではありませんが、例えばかつて古墳の造営や喪葬儀礼を担っていた土師氏は、古墳時代の終焉とともにその活躍の場を奪われ、また穢れ観の高まりのなかで自らの社会的地位の動揺を余儀なくされてゆきます。そこで菅原、秋篠、大江などの系統に別れ、いずれも学問の家として職掌の転換を図ってゆきます。現在も学問の神と崇められる菅原道真院政期の政治や文化を支えた大江匡房などは、この土師氏から派生した一族だったのです。土師は職掌を指しますが、菅原や秋篠は地名を意味します。これなどは、王権への奉仕のあり方が、氏族制を基盤としたものから官僚制を基盤としたものへ多少なりとも移行してゆく、その一過程を示しているのかもしれません。