中世神話では寺社縁起が多く発生したとのことですが、都市の起源が仏教や神仏習合的な価値観で語られることはあったのでしょうか。西洋中世では、多くの都市の年代記が残され、創世記やアダム・イヴの世界から始まり、時代を飛ばして都市の歴史が叙述される、というものがよくあります。

日本では、都市の固有性を主張する伝承は希薄な気がしますが、例えば、14世紀の由阿による『万葉集』注釈書、『詞林采葉抄』第五/鎌倉山には、鎌倉の地名由来として次のような伝承が出てきます。7世紀半ばの乙巳の変前夜、蘇我氏打倒を決意した中臣鎌足は、氏神である鹿島社へことの成就を祈願すべく東国へ向かう。その途上、由井里に宿った折に霊夢を得て、年来所持していた鎌をいまの大蔵松ヶ岡の地に埋めた。ゆえに鎌を蔵(おさ)めしところという意味で、鎌倉という。……「年来所持していた鎌」とは、これもやはり鎌足をめぐる中世の伝承であり、幼いときに白狐が持ち来たったという守り刀で、やがて蘇我入鹿の首を斬るのはこの鎌との所伝になってゆきます。鎌足と鎌倉の結び合わせは、九條家の藤原将軍が誕生したことを正当化する言説として生み出された、とされています。神仏関係ではありませんが、中世神話のひとつとみることができるでしょう。あとは有名なところでは、昨年の特講でも扱いましたが、出雲の島根半島にある鰐淵寺の山が、海上を漂流してきたインド霊鷲山のかけらをスサノヲが繋ぎ止めたものとの伝承があります。都市の起源ではありませんが、こちらはまさに神仏習合を前提とする中世神話です。