類話は、神話の段階にかかわらず発生しますか?

発生します。神話が口伝で語り伝えられてゆく限りは、どこかで必ず文脈の変化を生じます。文字の場合にも同じことがあり、それゆえに幾つもの写本が発生してくるので、口伝の場合は推して知るべしです。しかし、まれに不思議なことも生じます。『奄美沖縄環境史資料集成』には、奄美大島の民間伝承が幾つも収録されていますが、そのなかで目を引くのは、フヌガトゥ=余所者と呼ばれた漂流民と島民との交流が活き活きと語られる伝承で、3人のフヌガトゥが、まるでマレビトのように島に辿り着き、人々と交流し友情を結んで、やがて去ってゆくものです。これは、朝鮮王朝『成宗大王実録』に記載のある、1477年、済州島から与那国島への漂流した人々の史実に符合するようです。伝承と記録が一致する点も少なくないということで、550年の長きにわたり、記憶が正確に伝えられてきた証拠です。1960年頃の段階で、奄美の人々は、フヌガトゥたちが無事に祖国へ帰ることができたかどうかを心配し、彼らの無事を祈る祭りを未だに斎行していたとか。国家に扇動されて隣国に罵声を浴びせる、どこかの島国の人たちに聞かせたくなるような話です。