2017-05-15から1日間の記事一覧

文字使用の問題性を語る神話は、今まで口承によって有利な地位を得ていたシャーマンが、地位が危うくなることを感じて盛り込んだものなのではないか?

それは充分考えられることなのですが、やはり「文字使用を憂える言説」が文字として残っている点が重要です。中国の史官の例にしても、これまで口承の神話などを管理していた人々と、神聖文字によって情報の記録・管理、神霊との交渉を始めた人々とは、恐ら…

プラトン『パイドロス』に反映されている文字使用についてのストレスは、書承の呪術性が最初から信じられていたわけではない、ということだろうか?

ぼく自身は専門ではないので不正確な答えになってしまいますが、ソクラテスの語るタモスの言葉は、あまりに宗教的ニュアンスが希薄で不自然な印象もあります。文字の使用が一般化し、世俗的用途に使用されるようになって以降に、あらためて語られた伝承では…

文字記録と口頭伝承が両方あって、どちらが正しいか分からない場合、重要視されるのは文字ですか、伝承ですか。

それもやはり、情況によりますね。一概にどちらを重視するのがセオリー、とはいえないと思います。一時代前の歴史学では間違いなく文字記録を重視したでしょうし、現在でもそうする歴史学者は多いと思いますが、やはり充分に比較検討をして情況を調査せねば…

ナシ族がどのような暮らしをしているのか分からないのですが、表意文字の使用で不便なことはないのでしょうか。部族の人々への普及率や他民族との交流の過程で、変容していかなかったのか気になりました。

授業できちんと話をしていなかったかもしれませんが、トンパ文字はいうなればヒエログリフと同じ神聖文字で、トンパだけしか使用することができません。一般に使われたものではないのです(しかし現在は観光資源化によって、トンパ文化の担い手を育成する学…

トンパ文字の翻訳などは、どのように行っているのでしょう。

トンパ文字については、その読み方、書き方を伝承しているナシ族の呪師トンパが存在しますので、彼らへの聞き取り調査を通じて内容を理解することができます。現在では、調査と研究の積み重ねを通じて大部な辞書もできていますし、トンパ文字とそれを読み上…

デモティックなど消滅してしまった文字も多くありますが、それを使っていた民族がきれいさっぱり消滅したとは思えません。他の言語に移行したのでしょうか?

デモティックはヒエログリフの大衆化した形態ですので、指摘のとおり、エジプト文化圏の一般大衆が絶滅するなどありえません。まず、民族はその民族独自の文字しか使用しないという前提が誤りです。列島文化も漢字の使用と再解釈を通じて独自の文字文化を築…

文字というのはどのように固定してゆくのでしょう。また、口承から書承へ転換した後も、識字率などとの関係から書承の語りは継続すると思われるのですが、実際のところはどの程度の語りが書物になったのでしょうか。 / 書承から口承に戻ることもあるのでしょうか。

授業でもお話ししたように、書承には書承の利点があり、口承には口承の利点があります。現在もあらゆる言葉が文字化されてはいないように、前近代においては、やはり口承の世界が(文字を知らないからという理由だけではなく)躍動していました。日本では柳…

古代から日本は、人口の大半が文字を書くことができました。その点で他の国と異なり口承の部分が少ないと思うのですが、日本は例外的なのですか?

うーん、どこで得た情報か分かりませんが、それは幻想です。確かに、近世以降は江戸などの都市を中心に識字層が広がったといわれていますが、それでも農村も含めて人口の大半が文字を読み、書くことができたとはいえません。古代の場合はなおさらです。授業…

牛の頭という絵や記号から、文字が分かれるのはどのタイミングなのでしょうか。

ヒエログリフの雄牛からヘブライ語の’Alephを経てアルファベットAに至る過程についてですが、それが絵画ではなく、あるいは象徴的な狭義の記号ではなく(広義の記号は文字も含みます)、あくまで文字として機能したと考えられる画期は、やはり文章の一部と…

文字系統図によるとエジプト文字を祖とするヨーロッパ、甲骨文字を祖とするアジアを比べてみて、前者の方が著しく発展しているように思われた。アジアは閉鎖的だったからなのか、民族数が少ないからなのでしょうか。

どうでしょうか。単純に枝分かれと増殖を発展として捉えてよいのか、という見方がまずあるでしょう。また、ヨーロッパとアジアの展開の仕方の相違は、表音文字と表意文字の展開の相違なのであって、発展の高低ではないとみることもできます。また、中国で作…

類話は、神話の段階にかかわらず発生しますか?

発生します。神話が口伝で語り伝えられてゆく限りは、どこかで必ず文脈の変化を生じます。文字の場合にも同じことがあり、それゆえに幾つもの写本が発生してくるので、口伝の場合は推して知るべしです。しかし、まれに不思議なことも生じます。『奄美沖縄環…

中世神話では寺社縁起が多く発生したとのことですが、都市の起源が仏教や神仏習合的な価値観で語られることはあったのでしょうか。西洋中世では、多くの都市の年代記が残され、創世記やアダム・イヴの世界から始まり、時代を飛ばして都市の歴史が叙述される、というものがよくあります。

日本では、都市の固有性を主張する伝承は希薄な気がしますが、例えば、14世紀の由阿による『万葉集』注釈書、『詞林采葉抄』第五/鎌倉山には、鎌倉の地名由来として次のような伝承が出てきます。7世紀半ばの乙巳の変前夜、蘇我氏打倒を決意した中臣鎌足は…

共同体レベルの神話と芸術レベルの神話はそもそもレベルが違うので比較はできない、とのことでしたが、この点、もう少し詳しくするとどのような説明になるのでしょうか。

比較できないわけではなく、「安易に」比較できないとお話ししたわけです。例えば、授業で扱った黄泉国神話とオルフェウス神話の形式的類似を例に、古代ギリシャ人と古代日本人の冥界観には共通性があるという結論に到達したとする。しかし黄泉国神話は国家…

西洋でも、冥顕論のような(異端的な)解釈が主流になった時期はあったのでしょうか?

まず正確を期すために述べておきますが、幕末〜明治にかけては冥顕論が定説だったのであって、異端的ではありません。現代の人間がこれを異端的とみるのは、ものの見方が近代神道に馴らされているからに過ぎません。古代から近世に至る神祇信仰の歴史を通覧…

神道では、幽冥界をオホクニヌシが、顕界をアマテラスが治める分治であるとされていたのですか? / 冥顕論のもとでは、伊勢神宮より出雲大社の方が社格が上だったのですか?

冥顕論においては、まさにそうです。神社に関わる古代的制度においては、皇祖神を祀る伊勢神宮が別格の扱いを受けていたわけですが、中世や近世の時間的経過のなかで、それらも大きな意味を持たなくなりました。各時代においてどれだけ社会の需要に応えてい…

神話の作者は不明な場合が多いですが、それは意図的に書かれていないのでしょうか。

意図的というより、神話が集合的なものであるからこそ、作者の名前が存在しないのです。長い期間をかけて、ある集団のなかで語り継がれ、その都度集団の意志を反映しかつ規定してきたところに、神話が共有される必然性があるのです。

古代社会においてシャーマン階級は、政治的有力者が自らの支配を正当化する神話を必要としたから誕生した、という解釈で正しいでしょうか。

必ずしもそうとはいえません。なぜなら、シャーマンはいわゆる平等性社会のなかにも存在するからです。あくまでその発生は、偏重した力との関係ではなく、神霊との交渉において共同体を代表する者として考えるべきです。しかしその特権性、すなわち神霊との…

神話は王権や国家の支配イデオロギーとして利用されやすいとのことだが、ヨーロッパの国々でも、近代においてそうしたことはあったのだろうか。 / 国の近代化を成し遂げようとしていたときに、神話のような古い存在に力が入れられた理由は何でしょうか?

近代が中世的なものとの決別とすれば、本来は宗教や神話の価値が弱まるはずなのですが、近代に勃興する国粋主義・民族主義の場合は、やはりおしなべてナショナル/エスニック・アイデンティティの根幹たる神話が持ち出されてきます。多くの集団を国民国家に…

神話と歴史は同じ事象でもどちらとしても機能しうるとのことでしたが、区別が付けにくいときにはどう判断すればいいのでしょう。

上にも少し触れましたが、研究者がどちらかに決めてしまう、決めなければならないということはないでしょう。神話としても歴史としても機能する、ということでよいのではないでしょうか。例えば一部の日本史の教科書では、神話に関する記述が復活しており、…

ワ族の首刈りの話で、自分たちでは止められなかったものが毛沢東の禁止令で止められたのは、その伝承が当世に合わなくなっており、力を失っていたためでしょうか。 / ワ族の首刈りの話ですが、誰か個人を犠牲にして全体の豊かさを願うという価値観が興味深かったです。そうした価値観のもとで社会がどのように成立していたのか、気になりました。

もちろん、それもあるでしょう。首刈りを含む(とくにそれが自民族ということになれば)人身供犠は、あらゆる祭祀のなかで最も根本的なものであると考えられています。神霊に捧げ物をして何らかの祈願をする際、その捧げ物は、自分にとって身近で大切なもの…

保苅実氏の『ラディカル・オーラル・ヒストリー』を読みました。そこで、グリンジの人々は神話と歴史が混合して、歴史語りをしているとありました。彼らの基準からすれば、それが神話か歴史かというのは、重要ではないという話だったと思います。日本においても、ある時期まで混在していたと思うのですが、どうでしょうか? / 事象に何らかの特別な意味づけを与えると、神話になりうるということでしょうか?

そうですね、神話/歴史といった区別は、ある意味で研究者による分類に過ぎないのかも知れません。このあと授業でも扱うつもりですが、歴史感覚が発展してくると、神話と歴史とは過去の時間のなかで接続され、神々の時代は特定の時間のなかに置かれることに…

そもそも、人間が過去を意識するようになった切っ掛けは何なのだろう。

倫理的に過ぎるかもしれませんが、やはり、自分自身の行動において反省することこそが、「振り返ること」だったのではないでしょうか。未だ定住を始めていない移動生活においては、毎日が生存と関わる選択の連続だったはずです。例えば、自分たちの進んでき…