ギルガメシュ神話や『古事記』に出てきたように、不老不死に憧れを抱くのは、いつの時代も同じなのでしょうか。

ギルガメシュ神話などでは、これまで怖いもの知らずだったギルガメシュが、親友エンキドゥの死によって生の有限性を痛感する、という流れになっていますね。『史記始皇帝本紀では、皇帝となって絶大な権力を掌握した秦王政が、神仙思想との出会いを通して他界への意識を強めてゆくことになります。『古事記』『日本書紀』のタジマモリの話は、神仙の住まう常世国へ趣き「非時香菓」(いかなるときも輝く木の実)を持ち帰ったところ天皇崩御しており、その陵墓を前に慟哭して死んだ、彼は三宅連らの始祖である、というのが主内容です。『書紀』では、この果実のことを「いまの橘のことだ」としていますが、現実のものにいかなる効果があるかはともかく、神仙世界から持ち帰ったものであること、天皇の死を前に自分の復命が遅かったことを嘆き殉死してしまう様子などからすると、不老不死の効力を期待される果実だったと考えられます。始皇帝の徐福伝説に準えた印象もありますね。不死への志向は、死に直面した生命の、ある意味で当然の反応なのだと思いますが、やはり社会や環境が苛酷な分だけ、そのベクトルは強くなると思います。平安時代の『竹取物語』をはじめ、列島文化ではむしろ地上性志向が強くなるといわれていますが、それも「果たせない憧憬」が強烈だったからではないでしょうか。