実証主義以前の歴史観にキリスト教の影響があったことはよく分かったのですが、これは例えば、他の地域・宗教にもみられることなのでしょうか。 / キリスト教が普遍史の根拠になったのは、何か必然性があるのでしょうか。もしキリスト教がなかったら、他の宗教でも普遍史を形成しえたのでしょうか。

例えば仏教にも、キリスト教の創生紀元、キリスト生誕紀元ほど統一的な議論は行われていませんが、種々の教派、経典に仏暦ブッダの死後現在に至るまで何年が経過したかという計算が存在します。それを通じて、インドでも中国でも、キリスト教のような終末論が存在しました。中国の南北朝時代以降には、そうした終末と救世主の出現を、新たな王朝の誕生に利用する言説が登場します。日本でも、末法思想に基づいて浄土信仰が流行したことは周知のとおりです。戦前の近代日本では皇紀=神武紀元を使用しており、天皇の統治がアマテラスの神勅をもって正当化されていましたので、キリスト教普遍史に近い歴史観が展開していたといえるでしょう。しかしそれでもキリスト教が最も相応しかったのは、天地創造/未来の救済という時間の始まり/終わりがはっきりしていたこと、キリストを奉じる人々を中心としそれ以外を外部化するベクトルを明確に持っていたことに表れています。信仰自体がしっかりしていれば、大航海時代を通じていかなる別世界、別秩序が現れようが、それは「神の国」と抗争する「地上の国」の問題として周縁化してしまえるからです。