ランケは進歩について、たとえ衰退しているようにみえても、その時代の固有の価値のなかでは進歩とみなされるのだと考えていたとのことですが、その見方では、各時代の固有性以外にあまり意味を見出せなくなってゆくのではないでしょうか。

ひとつには、啓蒙主義に至るまでの進歩史観が、あからさまに連続性と現代賛美に結びついていたことへの反動とみることができるでしょう。そのなかから、リストの提示した質的転換の問題を正面から受けとめ、各時代独自の価値をきちんと把握してゆくためには、どのような枠組みが必要か。そうした観点から出されてきた解答だと思います。ただし、それがゆえに各段階間の転換のあり方と、全体の流れをどう評価するかが、「神の連関」という言葉でしか表現できなかった点が、限界ということなのでしょう(国家を神の計画の最良のものと表現しているあたり、ランケも時代を一貫した流れを意識しているわけです)。それを解決するためには、マルクスの登場を待たねばならなかったといえそうです。