デュルケームが社会学を確立してゆくなかで、個人主義を批判して集合意識・集合表象の重要性を主張していったとのことですが、これは当時流行していたナショナリズムの影響があったのでしょうか。

確かに、デュルケームは社会の集合性の個人に対する抑圧にも注意していますが、同時に人間が道徳的存在でありうるのは何らかの社会に属しているためだとして、その集合性のあり方を肯定的に捉えています。そうした見方の延長上に、やはり国家や愛国心にも否定的な把握の仕方はしていません。国家は国民に道徳律を提供する特別な思惟の機関であり、愛国心は国家と国民を結びつけ国民を道徳的な存在にするものと理解しているのです。しかし同時に彼は、自国を他国よりも優れた場所に置こうとする愛国心には否定的で、偏狭なナショナリズムを敬遠しているのも確かです。国家のもとで醸成される道徳のなかに、コスポモリタニズムに通じるものをみようとしていたようです。