近代に至って、近世的な諸関係のなかで差別されながらも存立しえた集団は、なぜ引きずり出され解体されることになってしまったのでしょうか。

結論的にいえば、それが近代の特徴ということになるでしょう。中世から近世、そして近代へと至る時代の流れは、公権力の画一性と社会への浸透が徐々に強まってゆく過程と捉えることができます。例えば検地の歴史をみても、それぞれの地域で別々の基準を持ち、それゆえに多くの「曖昧なもの」を抱え込みながら、在地共同体との交渉のなかで行われていた検地が、江戸幕府のそれに結果してゆくなかで、次第に画一性と規律性を増し「曖昧さ」を失ってゆく。山中や海辺の「共利」の世界は次第に失われ、公権力の収奪に曝されてゆくことになる。さらに近代は、古代国家の時代に立ち戻って再び個別人身支配を目指し、領域内のあらゆる人間を戸籍に登録し権利と義務を設定してゆくわけで、浮浪的なポジションを許容することはできなかったのです。そうしてハンセン病者を個別に把握した結果が、らい予防法による強制隔離収容として現実化してゆくのです。