コルバンが、「真っ白な心で受け容れる」などといっているのは無理なことだと思うのですが、どうしてこのようにいう人、考える人がいるのでしょうか。また、「エピステモロジカル」な視点はどうすれば身に付くのですか。

社会史の泰斗であるコルバンが上のように発言したことは、たぶん多くの人々にとって衝撃であったと思います。ブロックやフェーヴルが生きていたら、彼を叱りつけたことでしょう。しかし経験主義が極致に達すると、ある種の達観として、そのような認識枠組みが形成されてしまうのかもしれません。その時点で学問ではなく、宗教になってしまっている気がしますが。エピステモロジカルな姿勢を養うためには、まずは自己の認識を相対化する訓練をすること。自分が正しいと疑いなく思い込んでいるときほど、批判者の視点に立って検証してみることです。また、歴史学以外のさまざまな学問について見識を深め、その知識で歴史学を検証してみる必要もあります。常に、自分のポジションを外部からみる努力をすること。実はそのことが、まさに〈客観化〉という作業なのです。