歴史学以外の学問は、歴史学よりも科学認識論的な基礎付けがあったといえるのだろうか。

歴史学はその歴史が古い分だけ、例えばヨーロッパの学問のなかでも、アジアの学問のなかでも、存在することが自明とされてきました。国家にとって必要な知を供与するものであり、その社会的地位も高かったわけです。近代学問化においても、そのあり方は基本的に踏襲されました。それゆえに、自分自身でその寄って立つ認識基盤を検証しようという方向性は、あまり強くは起こってこなかったのです。歴史学の最大の批判者である社会学や人類学、言語学は、みな近代において過去の学問を批判しながら起ち上がってきた学問であり、それゆえに自らのポジションに関しては、常に隣接する諸学問との間で議論を繰り返してきました。その意味で、歴史学よりエピステモロジックな蓄積はなされていたわけです。