インターネットもない時代で、どうやって東学党は大規模な人数を集められたのですか?

うーん、そういわれると、80年代以前には大規模な人間の会集が困難だった、という話になってしまいますが、もちろんそのようなことはないわけです。人間社会には種々の情報伝達の方法があり、最も原始的ともいうべき「うわさ」や「口コミ」も、情況によってしっかりと機能します。東学党の場合、接(チョブ、群れの意。35〜75戸ほどの集合で、伝道者/受道者の人的結びつきから構成)と包(ポ、接が集まったもの。農民は大接主を指導者に、包名を記した旗や幟に結集し行動)という2階層の地下組織があり、各地に派生して、強固かつ緊密なネットワークを形成し活動していたようです。