吉見裁判の件、歴史学の専門家ではない政治家によって、研究の成果が云々されることに疑問を感じました。結局、学者は権力の前では無力なのでしょうか。どうにか権力に立ち向かえるようにならないでしょうか。

自然科学、社会科学、人文科学の各学界が、垣根を越えてしっかり団結することが大事なのだろうと思います。しかし現実には、諸科学の分野によって、国から多くの補助金を受け、それで研究が成り立っているところもあるので、なかなか難しい。補助金問題は、国公立はもちろん、私立の大学にまで及んでいますので、学問の独立を守るのは非常に難しい情況です。また人文科学の場合には、どうも研究者と社会との繋がりがうまく保たれていないのではないか、という懸念があります。人文科学無用論は経済界には根強いですし、一般にも「趣味の分野だ」という印象が広がっている。上半期にも、「学芸員は癌」との閣僚発言がありましたしね。就職活動においても、人文は役に立たないという認識が、学生にも保護者にも、場合によっては企業にも強固にありそうです。しかし、例えば歴史学などの基本的スキルは、情報収集力、情報分析力、その情報に基づく論理的思考力、構築した歴史像を効果的に表現できるプレゼン能力・文章力などですから、あらゆる職業・職場において応用可能なもののはず。そのうえで専門的な知識があるわけで、本来「鬼に金棒」なのですが、そのあたりはうまく認知されていないようです。人文学で培える知識・能力を現実社会でいかに活用してゆくか、それが政治・経済・社会にいかなる貢献をなしうるのか、もっと戦略的に訴えてゆく必要があるのかもしれません。