2017-07-17から1日間の記事一覧

南京事件など、未だに問題になるのはなぜなのか。自虐史観にはうんざりする。慰安婦に謝罪するなど、プロパガンダに踊らされたバカのすることだ。

うーん、春学期この講義を行っていちばん受講生に身に付けてほしかったもの、自身の価値観を相対化・客観化する態度・能力をあなたが手に入れられなかったのは、ぼくの力不足のせいというべきでしょう。これからあなたがしっかり勉強して、このリアクション…

上智のゼミで、史料と方法論を教えてくれるゼミはどこですか?

どこのゼミでも、学生さんからの要望があれば、きちんと応えてくれるはずです。それほど頭の固い教員ばかりではありません。

論文などの、結果重視の日本社会は、なかなか変えられない部分でもあると思います。こうした体制を崩すことはできないのでしょうか。

まずは、変えるために何ができるか考え、ひとつひとつ実践してゆくことが必要でしょうね。

現代歴史学の理想論と、上智の史学科で教わる歴史学はずいぶん離れていると感じます。実証主義の方法しか教わっていないので、理論的・方法論的多様性はないと思います。 / 実証主義世代の教授陣から教わっても、我々もまた同じことを下の世代に伝えてしまうことになるのではないか。

耳が痛いですね。しかし、それを「主義」にするかどうかは別として、実証が学問の基本であることは確かです。大学の学士課程では、まずはその実証をきちんとできるようにする、その訓練が大切なのです。またこの授業のように、たくさんの情報は発信されてい…

ピーター・ゲイの、〈歪み〉を含んだ主観が歴史の多様性を実現しうるという考えは納得できますが、歴史を考えるうえでどこまでその〈歪み〉を認めるかという線引きは必要だと思いました。 / 主観という歪みが過去のある局面を明らかにすることもあるという話だったが、「正しい」主観と「間違った」主観とは、一体何なのだろうか。

誤解があるかもしれないのは、主観とは我が儘勝手、何を考えても云ってもよいということではありません。個別の主体のものの見方・感じ方を指しますが、これを可能な限り客観的なものへ近づけてゆこうとするのが、とりあえずは学問の基本的態度というもので…

言語は、スピーゲルのいうように過去と現在の我々を繋げてくれる道具だが、現在の解釈と過去の意図が違ってきた場合、どのように過去に近づけてゆけばよいのか。

理論だけを追いかけてゆくと次第に議論は単純化してしまい、袋小路に至りがちになってしまいます。理論は常に、現実のデータの収集・分析と対になっていなくてはいけません。何がいいたいかというと、答えは過去の厖大なテクストとの格闘のなかにあるという…

言語論的転回の歴史学批判に対して、さまざまな学者からの回答・反論を紹介して下さいましたが、それらのうち、一般の歴史学者から最も支持されている有力な見解はどれなのでしょう。

授業でも扱いましたが、一般的には、a)歴史叙述は物語りであるが単なる虚構ではないこと、b)歴史学には反証可能性があり学問としての体裁を持つこと、などが定説的〈反論〉でしょう。しかしこれらは、結局、言語論的転回が問題にした「言語の世界構成機能…

ラカプラは、〈歴史叙述=記述的な過去の再構成〉という見方について、「現実を再現=表象しようとする際の虚構に無自覚で、最も常套的な物語構造に依存している」点を批判したとのことですが、彼はこのようなあり方をまったく否定したのでしょうか。

ラカプラの批判は、歴史叙述の物語り性に対する、歴史学者自身の無自覚に向けられています。つまり、歴史叙述を文章による過去の再構成であると無自覚に考え、それゆえに事実性ばかりを当たり前のように主張して、本来多様なはずの過去が言語によって分節さ…

この世界は常に言葉によって規定されている、ということは、私もときどき考えます。結局、いま、思考している私は私が認識した世界に基づいて思考している以上、他者とわかりあえないのではないだろうか、と思うのですが、歴史学と直接関係ないかもしれませんが、先生の考えを伺いたいです。

確かに、他者との理解を完全に達成することはありえません。しかし、他者が理解しえないがゆえに他者なのだと考えれば、それは当然のことといえます。もし他者を完全に理解できたとすれば、論理的にはそれは同一化・一体化以外にはありえず、その時点で他者…

現前する世界は実体ではなく、観る者によって違うという話を聞いてから、自分のいる世界はいったい何なのかという、よく分からない疑問でいっぱいになってしまい、そのなかで歴史を使うということが結局どういうことなのか、こんがらかってよく分からなくなってしまいました。

高名な哲学者や思想家が長年議論し続けている問題ですので、そう簡単に答えは出ません。とにかく、言葉に対してもっと敏感になること、周到な注意を要することだけは、しっかり自覚的に行った方がよさそうです。個人的には、もし世界が言葉によって構築され…

吉見裁判の件、歴史学の専門家ではない政治家によって、研究の成果が云々されることに疑問を感じました。結局、学者は権力の前では無力なのでしょうか。どうにか権力に立ち向かえるようにならないでしょうか。

自然科学、社会科学、人文科学の各学界が、垣根を越えてしっかり団結することが大事なのだろうと思います。しかし現実には、諸科学の分野によって、国から多くの補助金を受け、それで研究が成り立っているところもあるので、なかなか難しい。補助金問題は、…