2017-07-17から1日間の記事一覧
うーん、春学期この講義を行っていちばん受講生に身に付けてほしかったもの、自身の価値観を相対化・客観化する態度・能力をあなたが手に入れられなかったのは、ぼくの力不足のせいというべきでしょう。これからあなたがしっかり勉強して、このリアクション…
どこのゼミでも、学生さんからの要望があれば、きちんと応えてくれるはずです。それほど頭の固い教員ばかりではありません。
まずは、変えるために何ができるか考え、ひとつひとつ実践してゆくことが必要でしょうね。
耳が痛いですね。しかし、それを「主義」にするかどうかは別として、実証が学問の基本であることは確かです。大学の学士課程では、まずはその実証をきちんとできるようにする、その訓練が大切なのです。またこの授業のように、たくさんの情報は発信されてい…
誤解があるかもしれないのは、主観とは我が儘勝手、何を考えても云ってもよいということではありません。個別の主体のものの見方・感じ方を指しますが、これを可能な限り客観的なものへ近づけてゆこうとするのが、とりあえずは学問の基本的態度というもので…
理論だけを追いかけてゆくと次第に議論は単純化してしまい、袋小路に至りがちになってしまいます。理論は常に、現実のデータの収集・分析と対になっていなくてはいけません。何がいいたいかというと、答えは過去の厖大なテクストとの格闘のなかにあるという…
授業でも扱いましたが、一般的には、a)歴史叙述は物語りであるが単なる虚構ではないこと、b)歴史学には反証可能性があり学問としての体裁を持つこと、などが定説的〈反論〉でしょう。しかしこれらは、結局、言語論的転回が問題にした「言語の世界構成機能…
ラカプラの批判は、歴史叙述の物語り性に対する、歴史学者自身の無自覚に向けられています。つまり、歴史叙述を文章による過去の再構成であると無自覚に考え、それゆえに事実性ばかりを当たり前のように主張して、本来多様なはずの過去が言語によって分節さ…
確かに、他者との理解を完全に達成することはありえません。しかし、他者が理解しえないがゆえに他者なのだと考えれば、それは当然のことといえます。もし他者を完全に理解できたとすれば、論理的にはそれは同一化・一体化以外にはありえず、その時点で他者…
高名な哲学者や思想家が長年議論し続けている問題ですので、そう簡単に答えは出ません。とにかく、言葉に対してもっと敏感になること、周到な注意を要することだけは、しっかり自覚的に行った方がよさそうです。個人的には、もし世界が言葉によって構築され…
自然科学、社会科学、人文科学の各学界が、垣根を越えてしっかり団結することが大事なのだろうと思います。しかし現実には、諸科学の分野によって、国から多くの補助金を受け、それで研究が成り立っているところもあるので、なかなか難しい。補助金問題は、…