講義の目的に、「いかに〈共生〉してゆくか考えてゆきたい」とありますが、この目的において、宗教「学」と宗教実践の境目を、どうお考えなのかお伺いしたいです。

私自身は研究者であると同時に僧侶でもあるのですが、常に学問と実践とは一体でありたい、あるいは学問も実践の一表現として理解したい、と考えています。そうすることで初めて、研究が実践に根拠を提供し、あるいはその方向性を監視・矯正すること、逆に実践の側も学問に素材を提供し、その象牙の塔化を批判してゆくという、有機的な連環が可能になる。勤務校の教職課程の歴史の授業では、「教員が研究者マインドを持つこと」「ひとつひとつの授業を、自らの歴史叙述であると自覚を持って行うこと」を、理想として強調しています。同じように、実践者が研究者マインドを持つこと、同時に研究者が実践者でもあること、そのプラットフォームを通じて両者が有機的に関係しあうことが、最も肝要であるといえるでしょう。