捕鯨にまつわる負債感の説明では、殺生功徳論と、鯨を菩薩とみなすやり方では大きな隔たりがある。何がそのような違いを生んだのだろうか。
やはり鯨という存在が、人間にとって、自身の身体をも危険にさらす可能性の高い、強力な動物だったからでしょう。仏教の畜生観においても、伝説的神獣である龍や鳳凰などはもちろんのことですが、獅子や象といった強力・強大な動物は、レベルの高いものとして扱われています。アフリカの狩猟民の調査では、父親をライオンに食い殺された青年が、その哀しい出来事を、誇りを持って、喜々として語ったという報告があります。一方で、常に捕食対象としているような動物の場合には、それを(少なくとも表面的には)肉としてしか認識しない傾向もあります。一般にアニミズムが濃厚であると考えられているアイヌの文化でも、サケやシカはカムイではなく肉として認識されています。