グローバル・ヒストリー的な歴史認識を実現させるには、より"客観性"が必要とされるのではないか? 現在の日本の潮流(歴史学界における)として、より"主観性"が重視されているということは、矛盾しているような印象を受けた。

主観性を重視するということは、客観性を放棄するということではありません(もちろん事実を思われるものを探究するわけですから、先入観や思い込みでものごとを進めていては、学問でさえないことになります)。近代科学が客観主義を重視するあまり、主観性を排除・抑圧してきたことを反省し、個々の人間としての眼差しを大切にしてゆこうと考えた結果です。近代までのような行き過ぎた客観主義、唯一普遍の真理が存在するといった見方は括弧に入れ、自己の主観を重視しつつも厳しく検証しながら、蓋然性ある思考を導き出してゆこうという意味なのです。現代思想ポストモダン的潮流に属するもので、日本のみの傾向ではなく、むしろ日本はそうした流れにようやく辿り着いてきたという情況でしょう(これは、戦後の歴史学の話をするときに説明します)。グローバル・ヒストリーについては、まだまだ議論が続いていますが、近代客観主義をもとに画一的・普遍的な真理を目指す方向には、むしろ批判が大きくなっています。個々の地域の文脈、固有性・多様性をいかに考えながら、世界との結びつきを探ってゆくかが重要で、主観性の重視も排除されません。