客観性について、これを研究において重んじているのなら、論がぶつかるのはなぜでしょうか。同じ客観的立場に基づくとき、みているものは別になるのでしょうか。

すなわち真の客観性など実現できず、どれほど徹底しても、せいぜい集合的主観性の範囲を出ないためです。人間の把握している世界=環世界は、言葉と身体によって創出されますが、家族>その他の中間的集合>地域>国家などの共通枠を重層的に持ちつつ、同時に個としての独自性を持っています。したがって厳密なことをいうと、文字どおり、人間はそれぞれみている世界が(ある程度の共通性は保ちつつも)異なるのです。