神話には、自然の有限性が語られていると思います。「持続可能な開発」が今でこそ世界で唱えられていますが、先人の知恵はすでにもっと前の神話の時代から考えられていた、ということでしょうか。

前近代社会の人々が、自然環境を近現代人と同じように有限なものとみ、持続可能な利用を考えていたかというと、必ずしもそうではなかったろうと思います。ただし、過度な利用、無軌道な利用が何らかの破綻を招くという共同体規制は、集団を経験的に縛るものとして作用していた。事実、そうした行為によって破綻に追い込まれる部族、集団のあったことは確かでしょう。それらは無意識の防衛機制としては存在していたかもしれませんが、その積み重ねのうえに構築された他の動植物との連帯感こそが、彼らの内面における現実であったと思われます。