異類婚姻譚というと遠野のオシラサマの話を思い出すのですが、これはトランス・スピーシーズ・イマジネーションの視角からすると、少し違和感があるようにも思います。どう解釈すればよいのでしょうか。

遠野物語』のオシラサマは、原型としては、中国六朝の『捜神記』という志怪小説に出てきます。養蚕と桑、馬の飼育とは中国の文脈のなかで密接に関連しており(恐らく、厩の二階などで蚕を育てることが原因のひとつです)、遠野地方でそれが盛んになるなか、江戸期に輸入された漢籍を通じて物語が定着したのでしょう。同話は養蚕の起源を語るものであるとともに、生活における馬との連帯感(まさに家族の一員であること)をも表明したものです。中国の話は、馬の皮に少女が包まれることで蚕が生まれてくるモチーフがあり、蚕が少女と馬の子孫であることが端的に示されます。柳田国男遠野物語を語った佐々木喜善の『聴耳草紙』にも、やはり「馬の生皮でくるまれる」モチーフが出てきます。元来はこの物語は、馬の家畜化の起源を語る異類婚姻譚であり、それがやがて、馬の飼育と密接に関わる養蚕の起源へ転化されていったのだと考えられます。