人間は子供のころから、そもそも自然や動物と交感する能力を持つのか、それともそのような能力は教育によって植え付けられるのか。もし後者なら、人間はもともと他者と交感する能力を持っておらず、文化的に刷り込む必要があるのかもしれない、と感じました。

恐らく、1か0かということではなく、どちらも少しずつあるのが本当のところでしょう。幼児の自然に対する感応の力は、未だ自己/他者の分節が明解でないために強く生じるものです。教育はそのあたりをコントロールしつつ、重要な部分だけを発展的に伸ばそうとします。レヴィ=ストロースは、民族社会の人々が自然を注意深く観察し、文化に転化させてゆく回路を明らかにしていますが、そのなかで、いわゆる「文明社会」においても、親が子供に動物の人形やぬいぐるみを与えることに注意しています。すなわち、民族社会においては動物を注意深く観察すること、その動向から自然界のさまざまな情報を摂取することが重要で、それが自身の生存に繋がってくる。ゆえに動物に注意を向けるよう子供を教育するわけだが、上記の人形やぬいぐるみはその名残なのではないかと。彼の主張が正しいとすれば、昨今世にはびこるゆるキャラにも意味があり、動物キャラクターを大人までもが身に付ける列島文化は、やはりアニミズムの残存が強いのだといえるかもしれません(笑)。