ウィンター・カウントについて、その図様からラコタ族の時間観念を「螺旋的」とするのは、強引ではないのだろうか?

民族社会の時間観念については、多く円環的であるとの分析は一般的にあり、神話や伝承、祭儀のあり方などから説得的に立証されています。太陽・月・星の運行、月の満ち欠け、季節の移り変わりなどからそうした認識が作られてゆき、〈死と再生〉という枠組みが構築されてゆくわけです。これは、世界的に広く確認でき、ラコタにもみられる考え方です。しかしウィンター・カウントは、その始まりと終わりを一致させておらず、異なる時間として認識しています。ある程度の円環を前提としながら始点/終点を異なるものとみるのは、単なる直線とは表現しがたく、螺旋的であると考えているのです。