猫絵の殿様の話で気になったのですが、日本の江戸時代にはたくさんの藩があり、大名がいましたが、民衆の殿様に対する考え方が、なぜ地域によって全く違うのでしょうか。また、『王の奇跡』を読んでいないので分からないのですが、領主が宗教色を帯びるようになったのはなぜですか?

各藩は、それぞれ、近世前の在地の歴史的文脈を踏襲しているからでしょうね。日本列島の文化のあり方は、東/西でも大きく違いますし、そのなかでの地域性も非常に強い。現在でも、江戸期の藩の境界線を挟んで、隣接する地域の習俗が大きく異なる場合もあります。中世以前から同地に関わりのある大名と、国替えによって入って来た大名とでは、在地民衆の感覚もずいぶん違うはずです。なお、領主の宗教性は、一般論からいえば、歴史的に古い時代ほどそうした性質は強いのです。すなわち、宗教と政治が未分化の状態があり、政治的支配者が神祀りの最高の司祭である場合が、古代では少なくなかったわけです。そもそも武力というものは、武士の誕生の段階においても、辟邪の呪術の一形態とみなされていました。江戸時代になっても、当国の殿様やその一族による大蛇退治など英雄伝承が語られてゆくのは、彼らが宗教的に威ある存在ともみなされたからなのです。