性犯罪の被害を受けた人々が自分を責めてしまうのは、日本特有のことなのでしょうか? / 女性差別の話について、なぜ日本は女性の社会進出が遅れているのか、私が考えるのは、儒学・朱子学の名残が女性の社会進出を妨げているのではないか、ということです。「妻は夫に従い、子が育てば子に従う」という昔ながらの価値観が、現在の女性の全般的な苦痛に繋がっているのではないでしょうか。

世界にも、少なからずある/あったと思います。授業でもお話ししたとおり、これは、社会における女性の地位の未確立と関係があります。社会の構成員が、子供のときから、何を直接いわれ、何を間接的に聞かされて育っているか。人間は自らを社会に適応させようとしますので、まずは社会が集合的に要求することがら、要請することがらを、無意識にも受け容れ実現しようとします。その結果、男性を優位に置く心的反応を、多くの人々が心ならずも採ってしまうのです。また日本では、平安時代以降女性の経血などを穢れとする認識が強まり(中国から輸入された、道教系の医書の影響が強いとされます)、女性を男性よりも罪業の深いものとする仏教の言説や、それに対応する血盆経信仰(血の穢れから血の池地獄に堕ちる女性を救済する経典に関する信仰)などが広く普及しました。山岳聖地や寺社などには、ある範囲からの女性の立ち入りを許さないところも多く存在したのです。また儒教でも、家を安定的に維持するために、女性に貞潔な妻としての役割、母としての役割を強制してきました。それらを背景に、とくに上層の階級では、女性は男性以上に清廉潔白であること、貞淑従順であることが求められてきたのです。かかる規制のほとんどは、差別思想として表面的には除去されましたが、(男性にとっては都合の良い考え方なので)まだまだ社会の根底には根強く存在します。そうしたことから、女性が性に関わる部分で自分のことを汚らしいものと認識してしまったり、被害を受けた女性自身が自らを責めるような心理を持ってしまったりするのです。