『開元占経』には、烏や鶏といった実在する鳥だけではなく、想像上の烏を例とした占いについても書かれているとありました。実在しない鳥に関する占いを記すことに、どのような意味があったのでしょうか。 / 鶏が獣を産んだなど、およそ現実には起こりえない怪異について、占文として記されているのはなぜですか?
現在でも、科学的認識によれば起こるはずのない怪現象がまことしやかに囁かれ、都市伝説として社会に流通しています。私たちはそれを「ありえない」と笑いますが、100%否定することができず、どこかで「あるかもしれない」と信じてしまっている。それゆえに、怪談や都市伝説は社会からなくならず、毎朝のテレビ番組でも「今朝の運勢」が放送されるのです。古代・中世の中国においては、伝説上の生物である祥瑞や起こりえない怪異現象は、天子の政治を称賛あるいは譴責するため、天が降したものと考えられていました。その大部分は伝聞、あるいは各地域からの報告で、社会不安に基づき集合心理のうちに「創られた」噂であったり、政治的に捏造されたものであったりしました。王権としては、重大事の場合はしっかりと調査を行いましたが、いまのわれわれと同じように完全に否定することはできず、またその調査にも政治性が関係するために、結局は事実として受けとめざるをえない場合もある。また、虚構であっても社会不安や政治不安を反映していることは確かなので、政治に警鐘を鳴らす、あるいは善政を促進する役割の占文としては、充分に意味があったということになります。