雪男の正体がクマというのは、人間と基本的な骨格が似ているからではないでしょうか?

そうですね。クマは、例えば中沢新一氏によって、最古の神の姿だといわれています。北方狩猟民の神話には、異類婚姻譚の相手としてクマが顕著に出てきますし、トーテム動物としても一般的です。ヨーロッパにおいても同様で、アーサー王の名は熊の古名であり、ベオウルフも狼・熊双方の名の合成語です。熊祭りも各地に残っています。日本でも、神武東征神話や、平安時代の『うつほ物語』に熊の神聖性が語られます。しかし私が気になっているのは、雪男伝承の主体をなす「山人」的要素で、ヒマラヤにおいても北アメリカにおいても、それらは猿人的なイメージで語られているのです。中国の江南、日本の東北でも、やはり猿人的な言説を確認できます。それらの語られる契機が熊にあったとすると、それをどのように理解すればいいのか。猿人は「未開」「野蛮」の象徴なので、熊に対する認識から神聖性が欠落してゆくとき、猿人的言説にすり替わってゆくのか。そのあたりが、今後の研究の焦点にもなってくるかと思います。