東北や島嶼部など、稲作に向かない地域に対しては、どの程度柔軟に、租税制度を変えていったのだろう。

時代や政権のあり方によっても相違はありますし、環境的に米穀の収穫が難しい地域では、古くから代替物の貢納が許されていました。例えば、奥山にあって雑穀の焼畑や茶の生産を主要な生業としていた宮崎県の椎葉村では、江戸初期にこれを統括していた土豪を誅戮したのち、徐々に検地を行い、畑地面積に対応した年貢米を計算して、銀で代納させています。しかし、無産階級の生活を支えるため、水田が造成できる土地においては徹底的に稲米を得ようとしたことは確かで、その結果、列島の平地は見渡す限りの水田とそれを支える柴草山になり、経済的にも環境的にも破綻した状態へ陥ってゆくのです。