白神山地の伐採に朝鮮出兵が関係しているとのことですが、九州から遠い陸奥や出羽で伐採が行われたのはなぜですか。

当時、豊臣秀吉の全国政権が完成しつつあったためです。出羽の大名となった秋田(安東)実季は、小田原従軍以降秀吉に属し、太閤検地を経て長年紛争の続いた所領を安堵されますが、同時に秋田杉の重要性に注目した豊臣政権によって多くの蔵入地を設定され、その代官に任じられています。秋田杉の供出は、文禄2年(1593)、朝鮮出兵に際した安宅船の建造に始まり、伏見城築造において固定化してゆきます。良材としての秋田杉の評判が囁かれ始めていたこと、中継の良港であった敦賀に能吏の大谷良継がおり、伐採地で適切な寸法に製材した秋田杉(太閤材)を大坂まで運ぶ流通システムを整ええたことなどが、大きく影響したのでしょう。