棚田は、効率的に作物を増やすため、積極的に斜面に作られたと思っていたが、場所によっては、水田面積を拡げるため、やむなく柴草山を開発したところもあると知った。

日本の棚田は、斜面下の川原の石を上へ上へ積み上げて畔を作り、上部に水源がないところでは川から水を汲み上げ、灌漑して耕作します。これはかなりの重労働であるため、「棚田を使用しないでも生活が営める」現在においては、観光資源として活用できる以外のほとんどの地域では、過疎化による労働力の減少と高齢化の影響もあり、水田としての耕作を放棄してしまっているのが実態です(あるいは、より環境に根差した楮、みかんなどの段々畑へと変化させています)。中国西南部から東南アジアへかけての山岳地帯における棚田地域は、かつて平地で水田を営んでいた人々が、領域国家の支配を避けて山地へ移動し、半ば要塞を営むような形で作り上げたものです。水源は上部にあるので、農作業は日本の棚田ほど苛酷ではありません。では、日本のそれはなぜ条件の悪い場所に作られたのか、作らざるをえなかったのか。「棚田百選」など景観の表面的な美しさのみを称揚するのではなく、当時の人々の生活に思いを馳せて考察することが必要でしょう。