殺しながら信仰するという姿勢は、現在の私たちの宗教観とはズレがあるように思いました。 / 動物の主と似ているということでアニミズムを思い浮かべるのですが、縄文や弥生ではそうした信仰はなかったのでしょうか?

確かにそうかもしれません。それは、われわれの社会が狩猟採集社会から農耕社会へ移行したためですが、しかし例えば、列島文化において〈主食〉と位置づけられている稲米はどうでしょうか。現在の列島の基本的な祭祀習俗、年中行事は、稲に宿る根源的エネルギーである稲魂を信仰し、稲を育て、豊かな収穫を得て、これに感謝をするという図式で成り立っています。正月に訪れて祭りを受ける歳神は、まさに稲の神です。とすれば、われわれは信仰の対象を日々食しており、それによってエネルギーを得ていることになるわけで、基本的な信仰のあり方は狩猟採集時代と同じなのです。なお、アニミズムとは漢語に直訳すると万物霊魂論であり、森羅万象のありとあらゆるものに精霊=生命が宿っているという考え方です。すなわち、縄文や弥生の単元でお話ししている信仰の形は、すべて広義のアニミズムに属します。