土偶の破片で神話の話が出ましたが、外国と同じ発想が偶然に一致したのでしょうか。それとも何らかの方法で伝わったのでしょうか。 / 土偶が人為的に破壊されたものか、自然に破損したものか、区別はできるものなのでしょうか。 / 遮光器土偶には片足がないものが多く、何か理由があったはずと思うのですが、これも「殺された女神」と同じと考えていいのでしょうか。

土偶の大部分が人為的に破壊されていることは、授業でもお話ししたとおり、1体の土偶を構成する破片が集落内の離れた場所からみつかることによって、立証されています。すなわち、完全な形のものが打ち捨てられた結果、そのうえへ堆積していった土砂の重みその他で自然崩壊したのであれば、破片は一箇所から、少なくともそう遠くない場所からみつかるはずだからです。問題は破壊の理由ですが、これも授業でお話ししたとおり、土偶祭式論は仮説のひとつに過ぎません。1万年の長期にわたる縄文時代のなかで、人間の姿を写したものとしてそれなりにリアルな中期や後期の土偶に対し、極めて抽象的な早期や晩期の土偶が、同じ目的と方法を持っていたと考える方が無理がありそうです。現在のところは、時代・地域による多様性を前提にしたうえで、同じ土偶の破片を持つことが同一の親族グループを表示するという学説、生命エネルギーを分有する破片を、病気や怪我からの回復、自然の恵みの回復・活性化を祈願する呪具として用いたという学説が有力か、と思います。なお、類似の神話・伝承が、空間的に隔絶した地域に存在することは珍しくありません。考え方としては、類似の環境においては類似の文化が成り立ちうるという考え方と、伝播説のふたつが両極端であり、実際にはその両方が作用したとみられています。