何を契機に、祖先の遺体を信仰するようになったのでしょうか。

よくは分かりませんが、やはり、集落の離合集散と再葬という事象と密接に関係するのでしょう。すなわち、前期の巨大集落が解体して人びとが離散してゆくとき、埋葬された死者をどう扱うかが問題となったと考えられます。人びとが長距離を移動する暮らしをしていた際には、死者を埋葬することはあっても、再び戻ってくるかどうかも分からない葬地が、特別な感情を持たれることはなかった。しかし半定住が進み、季節ごとに同じ場所を移動するような生活になると、一定の場所が墓域となって死者が集積され、人びとの墓域に対する認識、死者への認識も変わっていき、共存するものとして何らかの祭儀を伴うようになっていった。そうした段階で集落が解体し、人びとがこれまで生活してきた地を離れなければならなくなったとき、墓=人骨は人びとと人びとを結びつける、また人びとと土地を結びつけるものに転換されたのでしょう。よって人びとは人骨を持って移動し、再び集合する際にはそれを持ち寄ってひとまとめに再葬、(落ち着いた場所が〈もとの場所〉ではなかったとしても)新たな墓を作ることで人と人、人と土地との結びつきを再構築しようとしたのだと考えられます。