『梁職貢図』は、なぜ実際に来てもいない倭国使を描いたのでしょうか。

南朝勢力は、北方の胡族王朝に対して、自分たちこそが正統な漢民族の王朝、中華王朝の後継者であるという意識を強固に持っていました。倭は劉宋時代に朝貢していた冊封国ですから、現在は国交が樹立されていなくても、理念上は宋→斉を継承した梁の配下であるという位置づけだったのでしょう。とくに、北朝に対してそうした姿勢を表明していたものと考えられます。