銘文の彫られた鉄剣をみると、為政者が自らの正当性・正統性を記録した文献があってもおかしくないように思われる。なぜ『古事記』や『日本書紀』以前に存在しなかったのだろうか?

古事記』『日本書紀』の前には、推古朝の『天皇記』『国記』、そしてそれらの素材になった、「帝紀」「旧辞」といった文献の名称が、実体は不明なものの記録に残っています。「帝紀」は大王の系譜、「旧辞」は宮室・朝廷・有力氏族の伝承で、『古事記』や『書紀』も、それらを継承していると考えられています。7世紀までは、紙の生産はまだ充分ではなく、文字は主に木簡に記録されていたと想定されます。中国でも、漢代以前の文献は竹簡による巻物の形で出土します。しかし、日本列島ではそうした出土が確認されないので、少なくとも大化の改新によって中央集権体制が構築されてゆく以前は、歴史や神話は主に口頭伝承として、語部などの特殊技術を持った人びとにより管理・解消されていたのでしょう。民族社会では、現在でも、口頭の形式で70代前までの王の歴史を再現できる人びとも存在します。それがだんだんと、渡来人たちの力を借り、文字による記録へと移行していったのでしょう。